藤沢周平さんをしのんで


 藤沢周平さんの、1ファンとして、藤沢さんが亡くなられたことは大きな悲しみです。

 いくら藤沢さんがのこされた作品が読み切れないほど多くても、今度はどんな作品がでるのだろうという、わくわくする気持ちを、もう感じることは出来ません。

 私のようなものが、こんなページを出すことはほんとにおこがましいとは知りつつ、気持ちが押さえ切れず、ふるさとを愛していた藤沢さんのエッセイの一部を抜粋して公開します。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

 山が見えない関東平野はあまりにあっけないし、信州に行くと、山が多すぎて息苦しい感じがする。それにくらべると広い平野と明快にそびえる山々が、ほどよく釣り合っている庄内を美しい土地だと思う。

 そして出羽三山は、単に風景として美しいだけでなく、どこかに人間くさい懐かしさを秘めているように思われる。私にとって、出羽三山はいまも不思議な山である。

「周平独言」中央文庫 「出羽三山」 より

 鶴岡は比較的城下町らしいところが残っている。酒井忠勝が鶴岡に入部したのが、やはり元和八年、以来一藩支配の土地である。しかし、その体臭が強烈に残っているということではない。

 城址があり、旧士族の人たちが、地元の経済界で活躍したり、致道博物館を中心に、旧藩時代の遺物、遺構を保存したりということはあるにしても、旧藩の顔が表面に出るという感じはない。穏やかに残すべきものを残して行く、適度の古さがあるだけである。

「周平独言」中央文庫 「三つの城下町」 より

 つまり世の中をぐるっと迂回して、興味がまた東北にもどって来たということで、本人は 東北を認識し、あわせて東北人である自分を再認識するための旅と思っているのだが、ひょっとするとこれが、むかしの人が言った「ふるさとへ廻る六部は気の弱り」というものかも知れないのである。

「ふるさとへ廻る六部は」新潮文庫 より

 また五歳ごろのことかと思うが、やはり母と一緒に、今度は県道の向うにある、遠い畑の方に行った日のことをおぼえている。その畑は広く、私はよその家の畑にまで入りこんであちこちと走り回ったあげく、すっかり退屈してしまったが、このとき母がどんなふうにして働いていたかは記憶がない。

 印象が鮮明なのは、その日の帰り道のことである。鍬をかついだ母が前を行き、そのうしろからついて行きながら、私はわあわあ泣いている。野道は家がある村はずれまでまっすぐのびていて、行手に日が沈むところだった。見わたすかぎり、野に金色の光が満ちていた。光は正面から来て、その中で母の姿が黒く動いていた。

 おかしいのは私が泣いた理由で、私は歩くのにくたびれたのでもなく、母に叱られて泣いたのでもなかった。野を満たしている夕日の光を眺めているうちに、突然に涙がこみあげて来たのである。

 私がそのとき感じていたのが、天地自然とか、人の世とかいうもののさびしさだったなどと言ったら、この文章をお読みになるひとの中には、笑い出される方もあるに違いない。

「周平独言」中央文庫 「母の顔」 より

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