記事タイトル:思い出(4) 


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お名前: NONKO   
kochan、テレビの話ありがとうございました。
知り合いからビデオを送ってもらう事ができましたので、
時間のあるときにみたいと思います。
題は、「海坂藩の世界」作家藤沢周平の原風景ですよね。
それでは、お礼まで・・・感想はそのうちに・・・
[2000年6月14日 21時50分53秒]

お名前: kochan   
いまさらですがテレビの話

NHKで夕方6:30ごろにやっていました。

たまたま月曜日に見て一週間毎日放送するということだったのでラッキー!と喜びました。

内容は鶴岡に見る海坂藩の面影というようなものでした。

初日は鶴岡城址、あとは藩校致道館、致道博物館と続いたようです。

松田静子先生が出演され、いろんな作品との関連等をお話しされていました。

鶴岡人としては鶴岡以外の県民にどんな風にとらえられたのかな?という思いで見ていま

した。

藤沢周平さんが、私たちの心の中の海坂と鶴岡という似て異なるものに対する迷いをを空

の上でどんな風に見ていらっしゃるのかなあ?と、ぼやあーっとテレビを見ていました。

まずは報告まで。
[2000年6月8日 0時6分55秒]

お名前: NONKO   
慈々さん、お答えありがとうございます。
おまけに、別のお話まで聞かせていただいて、ラッキーでした。
ところで、本当に出版社の方々って大変らしいです。
随分前に、とあるバーで文春の文庫の担当の方と偶然に知り合い、お話を聞いた事が
あるのですが、ある作家の方はひところ、原稿を全部カタカナで句読点もなしに書いていた事が
あったそうです。
その方の原稿は担当の方が全部、漢字とひらがなと句読点を入れて直してから
印刷にまわしたと言う話を聞きました。
作家と言っても様々で、皆が皆きちんとした原稿を書いているわけではないそうです。
「中には、すごいのもありますよ〜」とため息まじりで話してその方は話していました。
そう言う人はまれだったとしても、やっぱり色んな人の手があって初めて一冊の本が
出来上がるんですよね。
本に限らず、気が付かないところで人に助けられている事って本当に多いような気がします。
やっぱり、藤沢周平を見習って私も謙虚に生きないと・・・と思います。

そういえば、この間天神まつりがありましたよねえ。
まつりといえば、前に東京の東村山で藤沢周平の俳句展があった時に
珍しい写真を目にしました。それは、藤沢周平が篠田病院入院中の写真で
病院の盆踊りに参加している時の写真でした。
なんだか、入院中とは思えないほど、楽しそうに写っていました。
やっぱり、鶴岡あたりはおまつりも多いしそう言うことが案外好きだったのかも
などと、ふと考えていました。

それから、山形県地方の方に質問なのですが・・・
この間酒田出身の友達が今藤沢周平関係のテレビを1日15分程度やっている。
と酒田の実家のお母さんが言っていたと言うのですが・・・
なんだか、鶴岡の寒梅忌の松田先生がなにかお話をしているらしいと聞いたのですが・・・
内容をお知りの方は教えて下さい。
それとも、それは酒田方面だけなのでしょうか?
どんな話なのかしりた〜い!!!

それでは今日はこの辺で・・・
話があっちこっちに飛んですみませんでした。
[2000年6月2日 22時47分18秒]

お名前: 慈々   
NONKO さんwrote
>ところで、「同席していた同級生」とは「藤沢周平のすべて」の方の
>座談会 わが友小菅留治 山形師範学校時代に出てきた方々ではないですか?

ありゃりゃ、ご指摘のとおりでございます。確認しないで投稿しちゃいました。ゴメンナサイ
お詫びに、別の話をちょっとだけ

作者があとがきで、「本書の出版に際し、○○さん△△さんにあーたらこーたらで感謝します云々」と言うのを
良く見掛けますよね。
わたしあれが不思議だったんでやんすよ。○○も△△も、それが仕事であり、一生懸命やるのが当然じゃない
のか、と。
それを、著者が後書きでお礼を書くのは、仲間内の儀礼的なものに感じられて、読者のわしゃ不愉快に思う。
てなことを、藤沢先生に言ったんでやんす(なんとまぁ、生意気な事だった事か)

藤沢先生はニコニコとして「あれはね、本当にそう言う気持ちになるものなんですよ。編集者や担当者は仕事
とは言いながら、表紙や装丁、行間の取り方などなど、様々に手を掛けて下さるんです。言葉でのお礼も言
いますが、作家としては、活字にしてお礼を言いたくも成るんですよ」と。

それ以来わちきの、後書きにあるお礼への偏見はなくなりました。
「ただし、儀礼的に書かれる方も、おいでになると思いますけどね」と、付け加えられたんでやんす。
あの時の、ニコニコとした優しさ一杯の笑顔は、忘れられませんネ。
[2000年6月2日 11時39分20秒]

お名前: NONKO   
 慈々さん、こんにちは!
「思い出(4)」拝見させていただきました。
読んでいくうちに、「こんな事が、あったんだ〜。ふんふん・・・」
などと、どんどん引き込まれていきました。
私も、読み終わって、次回の「藤沢周平に猛抗議した話」早く読みたくなりました。
いったい、何に猛講義されたのでしょう・・・?
いつも、慈々さんのお話は、とっても興味深いものがあります。次回も楽しみに
首を長〜くしてまってま〜す!

ところで、「同席していた同級生」とは「藤沢周平のすべて」の方の
座談会 わが友小菅留治 山形師範学校時代に出てきた方々ではないですか?
違っていたらすみません。

それにしても、新聞の切り抜きを、コピーまで取って製本しておくなんて
すごいですねえ。
そんなこと、全然考え付きませんでした。
いつか機会があったら、その世界に一冊しかない『回天の門』、見せていただきたいです。
それでは、今回も楽しいなお話を聞かせて下さって、ありがとうございました。
[2000年5月31日 15時3分28秒]

お名前: kochan   
「藤沢周平の世界」の座談会??? 城山さんとの対談ですか? 私にはなぞです。

私も最近のにわかファンですから、雑誌の連載などは分かりません。それがくやしい...

1980年ごろ何しろ私は塀の中(刑務所ではありません)だった事も自分の人生では大事な時

でしたが、事藤沢周平となると過ちに近い...

それにしても...

猛抗議というのは、すごいですね。ここでやめないで!(その2)
[2000年5月31日 0時31分4秒]

お名前: 慈々   
「世界に一冊しかない『回天の門』」

  初対面の席上「今後どういう小説を書いて行くのか」と言う私の質問に、藤沢周平は「高知新聞になると思うけど、
『回天の門』と言う題で、幕末の志士清河八郎の事を書く予定なんですよ」と教えて頂いた。

以下は、その後日譚である。

  地方紙の連盟のような所から、連載の申し込みを受けるので、何紙かに連載されることになるのだが、それが高知
新聞かどうか、いつから開始になるのか、と言ったことはあまり分からないのだ、と言う事だった。

  数ヶ月後、私は高知新聞社に電話し、「藤沢周平の『回天の門』の連載開始月から終了月まで、購読したいので、
東北の田舎だが郵送して欲しい」と申し込みをした。
  高知の出身者なのか、連載をどう知ったのかとか。色々やり取りはあったが、以後、数日遅れの高知新聞が、時に
は三日分まとめて、時には日にちが相前後して届いたりするようになった。

  届いた新聞は、真っ先に「回天の門」を切り抜き、大きな茶封筒に投げ入れて置く。読んだり他のページに気を取ら
れると、切り抜きを忘れる事が有るからだ。
  二週間に一度ほど、切り抜いたのを引っ張り出してバックナンバーを確認し、今度はきれいに切ってA3紙を横にし
た白紙を台紙にして、張りつける。

  新聞の切り抜きは、年数が経つと茶色っぽくなってしまう事を考慮し、コピーを取って副本を作っておいた。
  連載終了後両方とも自分で製本した。一冊だけの手作り本である。
  ちなみに「回天の門」の連載回数は、282回であった。

これには、さらに後日譚がある。

  後年、藤沢周平に再度会う機会を得た時、−この頃には、単行本も刊行されていた−、私はこの手作り本を持って
行き、題名と一緒に著名をして頂いたのである。
  藤沢周平は驚いたような表情をしながらも快く書いてくれた。そして、同席していた同級生にも聞こえない様に、まる
で秘密を打ち明けるかのごとく「実は、単行本になる時、新聞連載の最終回相当分はその後分かった事が有ったの
で書き直してるんですよ」と小声で言われた。
  どのように書き換えられたかは・・?

  「同席していた同級生」達とは、後に「藤沢周平の世界(文藝春秋社刊)」の座談会出席者達である。彼の御仁達の
サインが私の「回天の門」の表紙裏に書き込まれている。
  もちろん藤沢周平のサインもその中に含まれているのは、言うまでもない。

  かくして私だけが持っている「世界に一冊しかない『回天の門』」は完成し、いまも私の本棚に大事に並んでいる。

*文中、敬称は略させていただいてます。
   私の駄文にお付き合い下さっている皆様、投稿を許して頂いている管理人さんにお礼を申し上げます。

次回は、たった一度だけ「藤沢周平に猛抗議した話」・・・の予定・・・です
[2000年5月30日 15時3分46秒]
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