記事タイトル:藤沢周平の琅カンに触れる 


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お名前: 慈慈   
*昭和51年夏に聴いたお話です(藤沢先生の声を、そのまま載せました)
*転載はご遠慮下さい。

    3-2.「30年経っても教え子の顔と声はわかります」

藤沢:そういう事に比べると、小説を書くなんて仕事は、他愛ないと思う事が有るんですヨ。
     で、先生っていうのは偉いもんだって、思う事があるんですよネ。
     自分がそういう事出来なかったからネ。特に、そう思う気持ちは、頭の中に一つ有るネ。
     最近の先生はどうかって、実態は知りませんけどね、遠ざかって分からないんだけども
     ネ。
     先生って言うのは、やっぱり、そういう気持ちでないといけないんじゃないかナ、って
     ね。
      あの、子供と一緒に海に泳ぎに行って、生徒が溺れたとして、とっさに飛び込むのは
     先生である、と思うんだナ。
   また、それが出来ないと、先生だと言えないんじゃないかナ、と思うんだよネ。

慈慈: 先生の時は、あだ名がついてたんですか。

藤沢: どうですかネ。付いてたんじゃないかナ〜。いい思い出ばっかりでネ。
    私にとって教え子っていうのは、わずかに100人足らずのネ、2学期しか担当しませ
   んでしたからね。70人くらいだネ。
    本当に一人一人ネ、不思議なもんでね、あれから30年もたって、30年近くたっ
   て、まだ分かるんですよネ。一人一人が名前と声が、そう声がネ〜、まだ分かるんで
   すよネ(沈黙)

慈慈:向こうの方には、やはり年に何度かは・・

藤沢:そうですネ、最低年に一回は行きますね、2回くらいはね・・

* この話だけとっても、藤沢先生の原点に触れる気がしませんか。
 この話だけは、皆さんにぜひ聴いて欲しいと思って、ずっと投稿を迷っていましたが、
 思い切って、掲載させて頂きました。
[2003年3月11日 19時8分56秒]

お名前: 慈慈   
昭和51年夏に聴いたお話です(藤沢先生の声を、そのまま載せました)
      *転載はご遠慮下さい。

      3-2.「30年経っても教え子の顔と声はわかります」

藤沢:だから、ある時、こうやって小説を書くようになってから、インタビューでね、
   「日教組をどう思いますか」って聞かれたんですよ。それで「僕は、日教組を
   支持します」って言ったんですヨ。
   それがね、大分問題になったみたいなんだけどネ。
   僕が先生として、日教組に入っていた頃はネ、純粋にね、先生のための何とい
   うか、先生の地位向上っていうのがあってネやった訳なんだけども、最近の日
   教組は知らないんだけども、そういう事で言ったんだけどネ。
   実際、小説を書くなんて仕事はねェ・・。
   例えばですよ、僕とたいして学年、違わないと思うんだけども、Yさんという
   先生がいてね、その先生がある時、学校が火事になりましてネ、寄宿舎、山奥で
   すからネ、寄宿舎に生徒が泊まってる訳ですね。
   それが火事になりまして、冬に、一応全員出したんですけどネ、何か心配になり
   ましてネ、残ってるんじゃないか、と。
   もういっぺん、火の中に飛び込んで、そうして、二階に上がって、焼け死んだ。
   亡くなられたんですけどネ。
   実際には、生徒達はみんな無事だったんですけどネ。
   そういう気持ちっていうのは、これは、先生でないと出来ない事だと、思うんで
   すヨ。
   先生とか親にしか出来ない事だと思うんですヨね。

*この項、続く
[2003年3月11日 18時57分51秒]

お名前: 慈慈   
*昭和51年夏に聴いたお話です(藤沢先生の声を、そのまま載せました)
*転載はご遠慮下さい。

3.「30年経っても教え子の顔と声はわかります」

慈慈:こっちに来て何年ですか、東京に出て来て・・

藤沢:う〜ん、病院に来たのが初めてなんでね、27年でしたよ。昭和27年でしたよ。

慈慈:もう25年くらい、こっちに住んでることに・・

藤沢:27年で、あの〜、田舎に帰って就職するつもりだったんですがね。なかなか、
   一遍離れるとね、面倒でね。とても就職なんてね、戻れなくなったんですよ。
   僕は先生っていうのが好きでしたからね、仕事がね。だからまあ、戻りたかった
   んだけども、戻れなくってネ。
   出来ないから、それで、ある人に世話してもらって、本当に小さな業界紙の会社
   にネ、勤めたんですヨ。

慈慈:教師は楽すれば楽、大変すれば大変だと言われますけど、僕なんかも小二の先生
   を良く覚えてるんですけど、当時の教え子にお会いになる事はあるんですか

藤沢:有ります。行くたびに会うんですが、もう、いいおじちゃんおばちゃんになっ
   てね、子供が大学生になってるとかって、女の人なんかネ、女の人なんかそう
   なってますね。
   でも、いま会っても昔の面影が有りましてね、大して変わりないですよ。
   本当にもう、教え子とは良く言ったものでね、自分の子供みたいなもんですよ。
   僕は、まあ、先生の時、その時、満で21くらいの時ですよ、今考えるとネ。
   そんな若さでもネ、教え子って言うのは、まさに子供みたいな気持ちがする時が
   有るんですヨ。
   あのう、例えばね、病気になって、休職しょうということになってネ、僕は最初、
   実際そうなんだけども、そんな大変な病気じゃないと思ってて、一年くらいも休ん
   で、休職すれば戻れるだろうと思ってて、その時、あのう、何も言わなかったんで
   すよ。生徒にネ、休むって。
   行く間際になれば、言おうと思って、ところが、どこか様子がおかしかったんでし
   ょうな、生徒が気にして、くっ付いて来るんですよ。離れないんですよネ。
   あれはね、先生はどっかに移るんだって思ったって言うんですヨ。
   先生はネ、彼らに言わせれば、春になるとネ異動があるでしよう。
   だからね、先生はどっかに変わるんだって、生徒達は考えたって言うんですヨ。
   毎日毎日、うるさくてしょうがないですヨ。それでくっ付いてきて、どうという
   事はないんだけど、始終誰か彼か傍にいて、つまらない事をやっているっていう
   具合でネ。
   何ともッ、可愛くて仕方がないんですヨ。本当にネ。
   その時、先生って言うのはこういうもんかってつくづく思ったんですヨ。

*この項、つづく
[2003年3月11日 18時48分31秒]

お名前: あんぷらぐど   
 WINDOWS MEとIEの新しいヴァージョンを入れたら、文字化けしてしまいました。
 今日はネスケで書いています。ちゃんと読めるかな?

 この前書いたのは、広辞苑で「琅カン」を引いてみたということと、「琅カン」の「カン」をATOKの文字パレットで検索したらあったので、それを貼り付けてみたということです。やっぱりダメでしたね。
[2003年3月6日 20時38分51秒]

お名前: あんぷらぐど   
 WINDOWS MEとIEの新しいヴァージョンを入れたら、文字化けしてしまいました。
 今日はネスケで書いています。ちゃんと読めるかな?

 この前書いたのは、広辞苑で「琅カン」を引いてみたということと、「琅カン」の「カン」をATOKの文字パレットで検索したらあったので、それを貼り付けてみたということです。やっぱりダメでしたね。
[2003年3月6日 20時38分47秒]

お名前: 慈慈   
あんぷらぐどさんのが、以下のように読めるんです。     

      。。。ク、Ε髻▲、

お酒を飲んでから読んでも、やっぱり同じなので、どうも酔っ払ってるのは
私じゃないのでは・・
[2003年3月6日 15時19分37秒]

お名前: たーさん   
慈慈さん
管理人さん同様、感謝です。素敵なお話ありがとうございます。
昭和51年とのこと。私が藤沢周平作品を読み始めたのが
昭和49年頃と記憶していますが、その頃のお話なので特にうれしいです。

以前にもお願いしましたが、終わりにしないで、時時掲載をしてください。
楽しみにしています。
[2003年3月5日 9時22分21秒]

お名前: あんぷらぐど    
。。。ク、Ε髻▲、ケ 瘤レエヌヤキ、ヌ、メ、、、ニ、キ、、、キ、ソ。」
。。。クタナォ\。ケ、ヌ、、、、、ホ、ォ、ハ」ソATOK14、ホホトラヨ・ム・Д董Ε諭▲魅Ε院▲Α▲諭▲磧▲漫▲紂▲、ソ。」
。。
。。、キ、ォ、キ。「、ヲ、鬢荀゛、キ、、、隍ヲ、ハ瓶馮、ヌ、ケ、ヘ。」
[2003年3月5日 0時5分50秒]

お名前: kochan   
 慈慈さんありがとうございます。

 何度も何度も読み返してしまいます。藤沢崇拝者としては神の声のようです。
 本物を聞ける事を夢見てしまいます。

 電車は湯野浜電車ですかね。庄内交通が鶴岡駅から湯野浜温泉まで引いていたものです。今は
廃線になり、善宝寺に記念館があります。昔みんなが海水浴や湯治のために乗った電車ですね。
知り合いに、廃線の時の電車の音のテープを持っている人がいます。湯野浜から少しの区間は
汽笛を鳴らしっぱなしで走っていたそうです。そのテープはもうすぐ鶴岡のタウンネットのHP
に載るようですよ。お楽しみに。
 鶴岡の今は冬型になったり春らしくなったり、春にいたずらされたような季節になっています。
春らしい晴天の日は鳥海山や出羽三山がすごくきれいです。もうすぐ鶴岡公園の桜が咲き、山山
の木木が芽吹く季節がやってくる筈なのですが、もう少しお預けのようです。
 続きをお待ちしています。
[2003年3月4日 22時59分16秒]

お名前: 慈慈   
 *昭和51年夏に聴いたお話です(藤沢先生の発言は、そのまま載せています)
 *転載はご遠慮下さい。

      2−2.故郷は“へその緒”みたいなもの。

慈慈:この走ってるのは、国鉄・・
藤沢:これは私鉄の電車なんですがね、ことしの4月になくなりましてね、赤字で、
   どうしょうもないんで、今はほら、みんな、車でしょう。
   乗る人があまり居なくなったでしょう。

慈慈:月山って言うのは、もっと高い山かと思ったんですけど・・

藤沢:いい、高いですよ。2千メータくらいあるんですよ。2千ちよっとくらいかな。
   こっちにあるのが鳥海山って、岩木山に良く似たネ。こっちが海になってます
   から・・
   ・・(数語不明)中心都市っていう本を出してね、屋根がきれいだって誉めて
   やったら、引き伸ばしてくれたんですよ。

慈慈:これは工場かなんかですか。いや街並みなのかナ

藤沢:これは、鶴岡市の郊外の工場地帯でしょうね。
   前は、この辺は全部田圃だったんですね。この辺全部変わって・・

慈慈:こういう風な家に住みたいな〜って思って、こんもりとした・・

藤沢:いいですね。う〜ん、これ、やっぱり○○(不明)湖かな(しばし、二人で写真に
   見入ってしまう)じゃ、なんか食いますか。
  (なにかご馳走になったのだが、覚えていない。車の音、突然、セミの鳴き声が多数。
   蝉しぐれ?)

<この項終わり>

*食べてる間、テープを止めたため、次の録音は、別の話題に移っていた。
*藤沢先生の、故郷庄内にたいする思いが、伝わって来ませんか。
[2003年3月4日 10時2分29秒]

お名前: 慈慈   
逐語作成に思ったより時間がかかっています。
テープを聞いて、懐かしさに浸り、そう言えば、エッセイのどこかに書かれていたな、と。
エッセイを読み出したり、どなたかが似たような事に触れていたな、となれば、あっちこっ
ちの本を読み当たったり、と言う訳で・・
ゆっくり、やります。

*「ろうかん」(漢字が出てこなくてすみません)について
  青碧色で半透明の美玉。まだ極貧時代の劉邦が、伝来の剣に着いていた
 美玉の“ろうかん”を売って、母のためにお茶を求めた、と言われている。
 
[2003年3月3日 14時22分33秒]

お名前: 慈慈   
*昭和51年夏に聴いたお話です(藤沢先生の発言は、そのまま載せています)
*転載はご遠慮下さい。

2.故郷は“へその緒”みたいなもの。

慈慈:ゴルフはやらないんですか

藤沢:ゴルフはやらない

慈慈:文士劇とかも・・

藤沢:そうそうやらないんですよ。文士劇といいば、長部さん(長部日出男氏)は上手い
   ですよ。
   トップクラスじゃないかと思いますよ。早稲田で、なんかやったんじゃないですか。
   そう、こう、あれは、なんかな〜、セリフもなんかとてもね、東北の津軽とはとて
   も思いない、メリハリが効いて。

慈慈:なまりは・・

藤沢:なまりは全然無し。なんかあれ、好きなんじゃないですか、思いがけない事あるね。
   僕もそうだけど、長部さんにしても、津軽ってものから離れられないようですね。
   そう言ってましたね。なんかこう、へその緒みたいな物で、つながれているような
   感じですね。

慈慈:うちの方の新聞で、遠くっていうか、いると、故郷に帰りたいって思うって・・

藤沢:ただ、僕なんかこっちに居ると、冬なんか寒くてね、あのう、冬なんか弱いわけな
   んだけどね。
   田舎に帰って、11月、12月でも、一向平気ですもんね、ウン、霰が降ろうとネ。

慈慈:こっちは雪があまり降らないのでは・・

藤沢:うん降らないですよ。降らないけど寒いですよ。東北の冬と寒さと、また違った寒さ
   だでね。意地が悪い寒さだね。

慈慈:雪のない冬っていうのは、考えたくないですね。(そうそう)やっぱり雪があった方が・
・
藤沢:お正月だって、何の風情もないわけですよネ。
   (鶴岡市の航空写真を引っ張り出してきて)これは、うちの方の田舎ですね。
   これが月山ですね。この辺に羽黒山があるんですね。こっちに鳥海山があるんですね。
   この辺が鶴岡の町で、この(不明)なんですネ。

<続く>
[2003年3月3日 13時52分55秒]

お名前: あんぷらぐど   
 慈慈さん、続きをお願いしますね。
 楽しみにしていますよ。
[2003年2月27日 6時16分25秒]

お名前: 慈慈   
とりあえず、テスト投稿です

*昭和51年夏に聴いたお話です(藤沢先生の発言には一切手を加えていません)
*転載はご遠慮下さい。

1.初めての商業紙掲載

慈慈:初めて自分の書いた物が活字になった時の思いというか・・

藤沢:「溟い海」ですね。いい、こりぁまぁ、何とも言えないですね。
   まぁ、一番最初ゲラ刷りを見たわけなんですよね、どっかに有るかしら。
   どっかに置いていたかナ
    (このゲラ刷りを探すのに少し時間がかかってテープを止めたような
     気がする。そのため大事な気持ちのところが、録音されなかった)

慈慈:(生原稿を見ながら、題名は不明)これはもう発表し終えた原稿ですか

藤沢:そうですネ(全部返って来る物ですか)そうでもないんですヨ。
   古書店あたりに出して売ったとか言う事があったそうでネ、編集者がネ。
   それから各社が返すようにしたって言うんですがね、でも、返ってこない
   物も大分ありますよ。
[2003年2月25日 12時55分14秒]
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