記事タイトル:藤沢周平さん見つけた 


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お名前: kochan   
「ふるさとへ廻る六部は」だったでしょうか?

 授業の研究というのが盛んにされ始めたころ、藤沢さんが先生になられたんでは
なかったでしょうか?
 とにかく生徒に好かれた先生だったんですね。私が若かったら藤沢さんにあこが
れて先生になろうと絶対したでしょう。

 PTAの役員をしている目で見て、今の先生方も一生懸命授業なさっている方が
たくさんいます。でも、今は何かが違っている気がします。むりやり難しい学校に
進学しないといけない状況があったり、むりやり勉強させたりということになって
いるような気がします。

昔は勉強が嫌いだったり、出来なかったりしても中学卒業したら就職すればいい
と思えた時代でした。今は是が非でも高校卒の資格だけはとらないと職が無いと
も聞きます。

 義務教育なんだから、生徒は勉強するのが当たり前、勉強が仕事なんだから!
と大前提をはられたら、やらされる勉強になって当たり前なのでは?楽しみや憧
れや希望や満足感が何にでも必要ですよね。点数だけで満足なんてありっこない。

 長々と失礼しました。
[1998年11月26日 20時21分32秒]

お名前: 大阪・横山稔    URL
みなさん、お元気ですか。
庄内ではもう冷たいものが降っているでしょうね。大阪は手袋をし
ている人はまだ見かけません。

さて、私のホームページ「残日録」→「藤沢周平さんをみつけた」
に、ささやかな記事を追加しました。
■『文芸春秋』12月号の「小菅留治が藤沢周平になるまで」
■講談社文庫『義民が駆ける』の帯について
の紹介です。

また、「藤沢さんを巡る旅」頁も少しだけ、見やすく改訂しました。
もし、よろしければお時間のあるときにご覧の上、野次・ご批判など
をお寄せください。

では、ますます寒さが厳しくなります。ご自愛くださいませ。
[1998年11月23日 12時1分6秒]
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