記事タイトル:《種竿》についてご教示下さい 


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お名前: kochan   
 後藤さんご説明ありがとうございます。

 藤沢さんは国会図書館にかなり通っていたと聞きます。もし国会図書館に藤沢さんが使用した
本のログがあったら、あるいはログを見ることが出来たら、藤沢ファンとしては最高ですね。
(それらの本を読破することは私には絶対無理ですが...(~_~;) )
[2006年3月18日 11時50分8秒]

お名前: 彦   
後藤さん、こんにちは。
恐れをなす推察力と洞察力ですね。
スタフをご存じとは紛れもなく本物の土木技術者さんですか?
身分調書みたいな質問で失礼!
私も友人から「その時代のことなら伊能忠敬を調べると早い」と言われました。
天文観測も出来たらしいですから。
ご指導など何もできず、こちらこそ新しい勉強を楽しみ、ありがとうございました。
『風の果て』に限らず、これからも宜しくお付き合いを願います。
[2006年3月18日 10時9分47秒]

お名前: 後藤 圭司   
「種竿」について質問を挙げてから2週間が過ぎました。

これまで、管理人さん、たーさん、彦さんからご親切な書き込みを頂きました。ありがとうござ
いました。

皆さんのご意見は、「種竿」は測量すべき点に臨時に保持する棒のこと、と読むことができます。
 私も全く同意見で,種竿を2本用いる場合を次のように想像しております。なお、「風の果て」
の文春文庫下巻、第64ページ、および68ページを参照しております。

1. 偏角―測量区域中の1点を「基準点」とし、ここに水平に「規矩原器」を置きます。4本の腕の
先からは、錘をつけた「すが糸」を垂らします。平凡社の世界百科大事典によりますと、この規
矩原器は、ローマ時代に遡るグロマ(Groma)と呼ばれた器具に相当するようですが、これを例
えば真北に向けた「羅針盤(コンパス)」の上に置きます。任意の「測量点」に「竿」を人手
で鉛直に保持し、これを規矩原器を回して観測すれば、コンパス上に北極方向からの角度が表示
されます。基準点には田口半平,竿は上村隼太と野瀬市乃丞のいずれかが持ちます。

2. 高低差―ここで、規矩原器から睨んだ竿の水平位置に印を付けて,物差を当てれば、測量点の
基準点からの高低差を知ることができます。竿には、あらかじめ基準点の位置を記して置きます。

3. 水平距離―次には竿を2本使って。基準点と測量点との水平距離を測定します。この区間を適
当な間隔に分割し、それぞれの区間の両端で,かつ、基準点と測量点を結ぶ直線上に、2本の竿を
鉛直に保持し、その間に「麻糸」を水平に張って、その距離を計り、「間縄」に移して距離を読
みます。間縄直接では無理でしょう。

これを分割区間ごとに反復して、全体の水平距離を求めます。この作業がもっとも難しく、3人
掛かりではやっとのこと、田口の規矩原器からの指示で2本の竿の位置を決めたところで、田口
が基準点を離れて、隼太と市乃丞の竿と麻糸張りを手伝ったことと思います。もし,地面がほ
ぼ平らであれば,直接「間縄」で水平距離を測ることができます。

以上で、当該測量点の位置が確定します。これを測量区域内の必要な地点についてすべて行って、
その区域の「地形図」を描くことができます。

ここで使う「竿」は、現代測量では、目立つように赤白に塗り,測量幹・向桿(ポール)と呼ぶ
ようです。そして,恐らくはこれがお尋ねした「種竿」でありましょう。それを確定し,また
「種竿」という語の由来を知りたいのです。

なお,この「町見」では,標尺・箱尺(スタフ)は使いません。それほどの精度は出ないと思わ
れます。

「種竿」について,今後調べるべき場所としては,まず,千葉県佐原の「伊能忠敬記念館」があ
ります。また,文献としては,大谷亮吉編著「伊能忠敬」が挙げられます。この本は,1917 ( 89年前!)
 の岩波の刊行で,伊能忠敬に関する決定版といわれますが,上の記念館にも蔵書がありません。
いずれ,国会図書館等で当たって見る積もりです。その他数種の参考書がありそうです。

皆様のご協力に対し,重ねてお礼を申し上げます。
今後ともご指導を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
[2006年3月17日 16時15分38秒]

お名前: 彦   
すいません。また訂正です。真縄ではなく間縄でした。
「間縄」は一間ごとに目盛付いて全長60間で軽くて丈夫な麻縄を使用していたようです。
そして組み合わせで使った棒は「間竿」といい長さ一間ないし二間の竿に半間の目盛を振った
樫の木や竹を使用していたようです。
あとはわかりません。「種竿」については
私も、たーさんと同じ意見でどこかに記述されているものと推察しています。
麻縄の使用、規矩原器、コンパス、分度器、等の正確な記述を考えると
「間竿」に相対する簡易計測棒の文献がどこかにあるのではないでしょうか。
[2006年3月5日 15時39分0秒]

お名前: 彦   
訂正です。間違えました。1,050cmではなく105cmでした。
長いもので5本繋ぎものもあるそうで全長で5M以上になるものもあるそうです。
[2006年3月5日 13時55分23秒]

お名前: 彦   
後藤さん、こんばんは。
管理人さんお久しぶり!たーさんどうも。
たーさんにはいつも、どうもの挨拶で失礼しています。
たーさんの言う「測量棒」は「測量標」のことだと思われます。
知り合いの土木技師に聞いたところ昨今はカタカナの呼び名で聞きましたが忘れました。
大正、昭和の呼び名は「標尺「箱尺」と呼び
「標尺」も「箱尺」も共に3本か4本の組み合わせで1尺を基本として
1本は3尺5寸(1,050cm)×3とか4の丸筒か角筒であったそうです。
それを地形に合わせて伸ばしたり縮めたりして使用するそうです。
江戸時代は真縄(尺の印付き)と真っ直ぐな棒(竹)との組み合わせで使用したのでは?
とのことでした。分度器とコンパスはあったそうな。起点から測量するには2本有ったほうが
昔の技術力からすると地形を調査するにはより精度が高いそうです。
書き込みしている私もあまりよく理解していません。 
後藤さんの「種竿」への疑問には何の足しにもならない書き込みで失礼しました。
[2006年3月4日 22時14分12秒]

お名前: たーさん   
管理人さんのレスポンス嬉しいですね。
後藤さんの書き込みに反応しなくてはと、管理人ではありませんが、なんとなく思っていました。
後藤さんも色々調べられた結果の疑問たったのでしょう。深く読んでいらっしゃいますね。
私など全く気がつきませんでしたが、「隼太と市之亟は種竿を持って走ったりする羽目に・・」
と言う文章から考えると、今で言う赤と白で塗られた「測量棒」のようなものではなかったか、そんな気がしています。

私の手元のにある極わずかな書籍類には「種竿」に関する記述はありませんが、
藤沢周平はこのような場合、絶対に造語はされない作家だと思っています。
したがって、必ずや当時の文献のどこかに記述されていたのではないでしょうか。
これは勝手な思い込みですが・・。

週末かなり酩酊しているたーさんでした。
[2006年3月4日 0時5分48秒]

お名前: kochan   
 後藤さんご質問ありがとうございます。

 すでに調べたかもしれませんが、広辞苑で”たねさお”と”しゅかん”を調べてみましたが、載っていませんでした。
 測量するのですから、縄をすでに持っていて、基点を押さえるのに棒を使ったというのは、あ
まりに浅はかでしょうか???

 余談ですが、庄内には”縄伸び”という言葉があります。昔、縄で田圃を測量するときに、わ
ざと縄の印を間違えておくのだそうです。当然面積は小さくなります。土地改良などで昔ながら
の形の田圃を正確に測ると、えらく広くなってしまうとか...
 これが百姓のためなのか、殿様のためなのかは私にはわかりません。あしからず
[2006年3月3日 22時48分41秒]

お名前: 後藤 圭司   
 質問です。『風の果て(文春文庫下巻,ふ・1・21)』の68頁,第4行目に「種竿」という語
句が現れます。<町見>,つまり現代の<測量>で用いる竿状の器具のようですが,その形状
と使い方はどのようなものでしょうか。
 本文では,若手ながら有能なオランダ式町見家,田口半平が林に入って枝を折り,小刀で削っ
て自作した種竿を,主人公で後に藩の主席家老に出世することになる上村隼人と, その友人で最
後は悲劇の果たし合いの相手,野瀬市之丞とが,田口の助手役を務め,その指図のままに,種竿
をもって山麓の原野を走り回ります。
 この種竿が1本か2本かで使い道が変わるかと思いますが,本数は記事中明示されていません。
 どうぞ宜しくお願いいたします。
[2006年2月28日 13時25分29秒]
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