記事タイトル:『手詰めの術』 


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お名前: ジュリアーノ    URL
遅レスですが…。
私は心形刀流をやっておりますが、剣でも居合でも特に「手詰めの術」という名称の技は現在伝
承されておりません。伝書でも見たことはありません。
ただ、一般的
に稽古において「手詰め」という状況は追い込むこと、追い込まれた状態を示していますから、
そういう系統の技は存在します。具体的には打ちと受けのそれぞれの状況から次の二つが考えら
れます。
攻め手の側からの手詰めは、相手の動きの先を押さえすことで動きを封じて間を詰めていくこと。
受け手の側からの手詰めは、追い詰められた状況から瞬時の剣や体の捌きで形勢を逆転し決める
技。
後者は瞬時の動きなのでいわゆる「手妻」的な感じを受けるでしょう。ただし所作のレベルは前
者の方が高いものです。
ちなみに私は藤沢氏の該当する本を読んでいないので状況がよくわかりません。
[2003年11月5日 23時39分15秒]

お名前: 青江松三郎   
以前、テレビ番組で、合気道の先生がアメリカの屈強な要人警護の方々を
次々と投げ飛ばしているフィルムをみたことがあります。
塩田剛三という方だそうですが、あれなどまさに「手妻」のようでした。
合気道は合気柔術が基になっているそうですので、手詰めもそうなのかな
などと思ったりもします。
しかしながら、格子1本が外れただけだった・・・という記述を読むと、
やっぱり別物なのかしらと思ったり。
・・・これはとんでもないことに疑問を持ったものだなぁ(^^;
藤沢先生、何か書き残しておいてくださらなかったのかしら???(笑)
[2003年7月27日 9時22分41秒]

お名前: kochan   
 資料の調査は藤沢さんの日課だったのでしょうね。
 国立(国会でしたか?)図書館にはかなりかよっていたとか...
 そこでどんな資料を参考にしていたのかは私たちいちファンでは追求が難しいところですね。
 記念館ができたら参考にした書籍の一端を見ることができるのでしょうが、図書館でどんな資
料を参考にされたのかは謎のままかもしれません。
 その辺も興味の湧く所ではないでしょうか?
 江戸の資料や庄内藩に関わる資料をこつこつと調べ上げる作業は大変だったのでしょうが、そ
ういう積み重ねを小説家としての喜びにされていたのではと思われる文章もありますね。
 読者に読ませて生業とするための小説と自分が書きたいものとの違いをエッセイの中で述べて
いる文章があった気がします。回転の門や漆の実る国等は本当に書きたくて書いたものなのだろ
うなと推察しますし、海坂ものはどちらかと言えば生業としてのテクニックものが多いかも?
 私がそう思うのは、藤沢さんの心の中が鶴岡への郷愁も強いけれど、米沢の方にも強く向いて
いるところがすごく感じられるからなのですが、皆さんはどう感じておられますか?
 「漆の〜」の中で私が藤沢さんの意思を感じるところは、細井氏の言葉を引用したところで、
教師をまっとうできなかった藤沢さんが、親と子、あるいは教師と教え子、子を持つ親として
の気持ちを込めて強い意志を示した部分ではないかと推測したりします。
 実は今日、NHK鶴岡で「蝉しぐれ」の第1回目の放送分の試写会があったそうです。私は
遠慮しましたが、見てきた人の感想のうわさを耳にしたのですが、「原作の素晴らしさを実感し
た」というような内容の事を言ってました。それはそうだろうな...とそば耳をたてて聞いて
いました。
 藤沢作品はその作りの素晴らしさだけでは語れない何かがある。作者自身がテクニックと言う
いやらしさは読者に微塵も感じさせず、真直ぐにさらさらした涙が流せる。それ以外に形容のし
ようがないのが藤沢作品だと私は思っています。
[2003年7月25日 0時5分33秒]

お名前: 慈慈   
青江様の疑問は、やはり「手詰めの術」でしたか。

『一夢の敗北』の前に「幻にあらず」、『静かな木』の前に「漆の実のみのる国」と
いづれも米沢藩を書いていますので、「手詰めの術」はそのおり武芸者かなにかでしっ
たのでしょうかね。よほど気がかりだったのでしょうか。

藤沢作品は初期の短編を、書き直したと思われるものも有ると思われますが、その理由
の一つに、初期の頃のひっかかりを精算するような思いがあったのではないかと考えて
います。

さて、『一夢の敗北』では”一勢流”から、『静かな木』では”心形刀流”から「手詰
めの術」が出ています。
”一勢流”というのは居合と棒が流儀であり、”心形刀流”は刀術が流儀です。
どちらも体術を表芸にはしていないのですが、昔の流派には表芸の他に何でも一通り出
来る事が、上手・達人の要件だったと考えれば、どちらの流派にも裏技としての体術は
あったと思っていいという事になると思います。

ちなみに”一勢流”は、米沢藩の流儀に有るのですが、”心形刀流”は分かりません。
庄内藩には”一勢流”はありませんが”心形刀流”は有ったように思います。

つまり『一夢の敗北』は米沢藩を舞台にしており、『静かな木』は藩名はハッキリしてい
ませんが海坂藩だろうと想像させられますね。

藤沢先生は、流派(流儀)を選ぶにあたっても、あいまいさを避けたと思われます。

ところで、本題の「手詰めの術」についてですが、私もわかりません。
ですが、柔道(近代)にはない技であることだけは確かです。
柔道で「手詰めの術」に近いとすれば「空気投げ」でしょうか。
大男を投げる技としては「やまあらし」(姿三四郎・富田常雄著)が知られていますが、
まったく違いますね。
多人数を投げ飛ばす技では「赤ひげ診療譚」(山本周五郎)も有名ですが、あれは関節技
のようだし。

もっとも近いとすれば「合気道」ではないかと想像しています。ただし、「合気道」は
「手詰めの術」よりはずっと後年のことですから。

「手詰めの術」という呼び方が、上記の二流に固有のものだとしても、”心形刀流”
では聞いたことが有りません。

おそらく、他の流派(体術や腰回しを含める流派)を丁寧に調べれば、似たような
技(術)はあるのではないかと思うのですが、いかがなものでしょうか。
[2003年7月23日 20時52分39秒]

お名前: 青江松三郎   
それはすごい!<テズマ
なるほど思いもよらなかった解釈でした。
手品のことを古くは手妻と呼称したそうですが、手詰めの術とは
「理解を超えた玄妙な技」が、あたかも「手妻」のようだったから
名づけられたものなのかもしれませんね。
後にそれが変化して「手詰め」になった・・・というような。

無論、この説が正しいかどうかはまだわかりませんが(^^;
この疑問が生まれたときから結構苦しんでいたので、今かなりすっきりした気分です。
ありがとうございます>Kochan

ひきつづき、皆様の情報やお考えをいただけるとうれしいです。
[2003年7月19日 0時59分29秒]

お名前: kochてan   
 久々の登場で的を得ない話ですみませんが...
 庄内には(鶴岡には)いまだ「テズマ」と呼ばれるものがあります。それ程珍しいものではあ
りませんが、今で言う「手品」です。
 青江さんがまさにおっしゃる通りの疑問(それほどではありませんが)を以前私も思いました
が地元で言う「テズマ」との関連を空想したものです。
 「テズマ」と「手詰め」?の疑問は残るばかりです。...
[2003年7月19日 0時8分57秒]

お名前: 青江松三郎   
「一夢の敗北」 小説新潮 昭和五十二年(1977年)
「静かな木」  小説新潮 平成六年  (1994年)

17年を経て書かれたこの二編の小説には、ともに『手詰めの術』についての描写があります。
武術の一種らしいのですが、詳細は模糊としてわかりません。
「一夢の敗北」において、藤沢周平はこう書いています。
  この手詰めが、浅学の筆者にはわからない。
  (中略)
  ご承知の方のご教示を仰ぎたいものである。
小説はこの後様々な逸話を紹介し、『手詰めの術』を
  柔術とかかわりあるのかも知れない。
としています。そして「静かな木」においては
  手詰めは体術の一種だとしても、柔術とはまた違うらしい。
と書いています。「理解を超えた玄妙の技」とも。

・・・さて皆様。
とどのつまり、『手詰めの術』って一体どんなものなのでしょうか?(笑)
綿密な調査と精緻な描写の鬼、かの藤沢周平をして曖昧模糊とした書き方しかさせなかった
この『手詰めの術』、僕はぜひ詳細を知りたいと思うのです。
藤沢周平は、どうやら柔術のようなもの、と結論づけたようですが、それは正しかったのか。
いや正しいとかどうとかじゃなく、もし藤沢周平が詳細を知らないままだったとしたなら、
詳細を報告したいと思うのです。

この『手詰め』に関連する資料からヒントを得たものなのかどうか、後に藤沢周平は、
彫師伊之助と立花登を柔術の達人としていますよね。なかでも「立花登」には「一夢の敗北」
に紹介された逸話と似たような描写があり、ますます興味はつきません。


「手詰めの詳細についてご存知の方がいらしたら、ぜひお教えくださいませ。」
前置きが長くなりましたが、これが今回の僕の質問です。


実を申しますと、僕は以前、古武術に詳しい方々に手詰めについて訊いてみたのですが、
まったく返答がなかったのでした。うーん残念。
(ちなみにサーチエンジンで検索したところ、ヒットしたのは詰め将棋関連ばかりでした(苦笑))

教えてクンで申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
[2003年7月18日 21時15分8秒]
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