記事タイトル:海音寺城 


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お名前: 慈慈   
徳川幕府が藩を置いたとき、“一藩一城”が原則でした。
鶴岡の初代藩主は、徳川四天王の一人「酒井家」当主の次男という名家でしたから、本城の他に
それまであった「亀ヶ崎城」を支城として認めたという事のようです。

「地図刊行会」が酒田と海坂をどう捉えたかは・・不明です。
[2004年2月2日 12時11分19秒]

お名前:   
もうひとつお聞きします。

同じく「竹光始末」に、「甲沼という町は、海坂の城下から西北に十里ほど行った海岸べりに
あって、そこに海音寺城という支城があり、城代がいる」とありますが、この「海音寺城」は、
酒田の「亀ヶ崎城」を想定してのことですか。

そうでしたら、「藤沢周平とその作品 ゆかりの地図ー鶴岡<海坂>版ー」の左上の酒田周辺図
に「海音寺城」があったらいいなあと思いました。あ、これは、「地図刊行会」への要望でした。
[2004年1月30日 12時3分6秒]
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