記事タイトル:本のゆくえは・・・ 


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お名前: kochan   
考えはまとまりませんが...

守るべき物は著者の魂だと思います。

作者には生業をたてる権利があり、またそれとは別に己の信念を貫く義務があります。

藤沢周平は生業をたてるために本を書き、信念を貫くために本を書いた。

大活字本や音読に対して好意的な態度が示されて来たところをみれば、福祉的なところへの藤沢

周平の魂がうかがえると思います。

デジタルブックに関してはNONKOさんの言う通り、表紙もなければ再絵もデジタルのぎざぎざ。

もっと時代が進めば追い付くかもしれませんが、まだまだというところでしょう。

文字が説明するシチュエーションをデジタルな挿し絵(解像度などはまだまだ)で表現されても

気が抜けてしまいます。

ただ、近い将来は本もデジタルも違わないものに近付くでしょう。デジタルな挿し絵書きも出る

かもしれません。

良い物を見極めて、是非藤沢作品もデジタル化したり、映像化したりされることを期待します。

最後に残るのは作者の魂でしょう。

魂の無いもの。実像の無い虚なものは長くありません。藤沢周平という人が作品の中に残した

彼の魂こそが、なによりも優先されるべきもの。彼が大切にした家族をのぞけば。
[2000年3月11日 1時12分44秒]

お名前: 慈々   
こんにちは、nonkoさん
また、えらい問題を、深夜に考えたもんですね。

さて、提起された「デジタル書籍」についてですが、どこを捕らえるかによっても違って
来るのではないでしょうか。

1.「藤沢周平」の著作を、デジタルブックにすることについての是否
2.小説をデジタルブックで読むことについて
3.デジタルブックの可能性について
など。
あるいは、針式レコードとCDの違い、とかと似たような論議になるのでしょうか。
いづれにしろ、「本に対する認識」論になるのでしょうか。
う〜ん、かえって複雑にしてしまったかな。もうすこし、考えます。
[2000年3月10日 14時36分5秒]

お名前: NONKO   
今日の東京はからっかぜが吹いて、かなり寒かったです。
みなさん、お元気ですか?

最近気になっている事があります。パソコンをやっているのに、こんな事を言っていいのか
分かりませんが、電子本について・・・
この間読売新聞の夕刊に電子本についての記事がでていました。
今商品としての本は著者の死後50年を経て著作権が消滅した物を中心にごく一部のものらしい
ですが、電子本にするには物によると思うのです。
確かに本はかさばります。家の中も本の山で本当に捨てるわけにもいかず、始末に困ると
思う時もあります。確かに百科事典などは電子本になったら便利だと思います。
ただ、「藤沢周平」の本となるとどうでしょう?
出版社の方々も表紙の紙から中身の紙、印刷の色、文字の大きさその他色々なことを考えて
一冊の本を作ります。その本の内容にあったものを選んで作っていると思うのです。
そこには、読者では見落としてしまうような苦労もあります。
そして、私達の手に本が届くわけで・・・
私は「藤沢周平」の本はパソコンの画面で見るのではなく、
畳に寝そべって、表紙にじかに触れながら、本の香りを感じながら読むのが好きです。
そして、何度も何度も読み返していく長年の間に、本の紙の色もあせていくのが好きです。
そして、その中に自分の人生が一緒に織り込まれていったら、なおいいとおもうのですが・・・
便利さだけを追求して、何でもかんでもデジタル化する事には抵抗があります。
不便には不便の中にしか感じる事が出来ないいい所もあると思うのです。

福祉的な面から見た時にはどうかと言うとそれは又少し話が違ってきます。
もちろん手軽に、本屋や図書館に行かれない方も沢山いらしゃると思います。
そういった方の為にはデジタル書籍と言う物で手軽に小説を楽しむ事が出来るように
なるのは良い事だと思います。そういった方の為に役立てるということはぜひやった方が
良いと思うのです。

ただ、私個人としては「周平」の本は本の重さを感じつつ・・・
とどうしても思ってしますのです。
良いものを残しつつ、新しい本の文化に移行して行く訳にはいかないものか・・・と最近
考えたりします。
「藤沢周平」の本とデジタル書籍に関して、皆さんはどうお考えですか?
ご意見お聞かせください?
[2000年3月9日 23時50分42秒]
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