記事タイトル:身につまされて 


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お名前: 大阪・横山 稔    URL
kochan さんへ。
 あの1月16日の朝、つれあいの「藤沢周平さんが亡くなったよ」との声で目が覚める。
新聞の記事を読みつつ、ずっと下を向いたまま。涙がでてきて、顔をあげられない。

 ぼうぜんとして、職場に行くと「あれ、横山さん 来たの」の言われる。藤沢さんを
すすめて読者になった同僚からの声。藤沢さんが亡くなったから 仕事を休むかな
と思っていたとのこと。
 それからはしばらく好きな読書・ジャズ・映画を見たり聞いたりする気にならなかった
ものです。

 さて、kochan さん
「自分の命が何時尽きるのか、知りたいと時々思う。それが分かれば、それなりの心構え
が出来るし、無茶したり無駄にしたりしないで生きられるような気がするのである」
そりゃあ、そうかもしれないけど、自分の寿命の終わりは知らない方がいいと思いますが。

お気楽に、毎日楽しんで、それなりに誠実に仕事や家庭・地域などで生活をし、ある日
突然ばったりと死ぬのが一番と思います。みなさんは如何。
[1999年2月4日 16時28分16秒]

お名前: kochan   
「父と呼べ」(藤沢周平短編傑作選巻二)
 父親が島流しになった子供を可愛がる年老いた夫婦。なつかない子供への夫婦のしぐさが、とても暖か
い気持ちにしてくれる。

 喧嘩ばかりしているような夫婦が、子供のことになると本気で話し合っている。壊れたかにみえた夫婦の
仲が、この子のおかげで、強い繋がりを取り戻す。

 「今日からは俺がおめえのちゃんだ。おめえをいじめる奴がいたら、片っ端から俺が退治してやら」子に
対する親の正直な言葉だ。

 この夫婦のひとり息子はやくざな人生を歩む。何年も家に帰らなかったのに、追われて最後に親をたよ
る。父親はやくざと闘いながら子を逃がそうとする。年老いて満足に闘えず、ともすれば自分の命もあぶな
いのに、やくざに立ち向かっていく姿に、親である私は身につまされずにはいられない。と同時に、なさけな
い子にしてしまった親の気持ちが伝わってくる。

 親であれば誰でも、我が子に危険が降りかかることが無いようにと願う。そして安寧な日々をこの子にと
願わずにはいられない。

 最後にこの夫婦は我が子とわかれ、やっとなついてくれた子供ともわかれ、また二人きりの生活に引き
戻される。つかの間の夢と言うには、幸せすぎて、手放したくないひとときだった。

 わたし自信は、我子を「この家に居なさい」とは言いたくないと思っている。むしろ「早く出て行け」という態
度でいたいと思っている。自立心のない子供にならないようにということなのだが、内心は寂しくてしょうが
ない。まだ居なくなるには間があるのに、時々寂しくなる。

 「行っちまった。徳の野郎も、坊主も。俺は婆ぁと二人っきりだ。」



 もうすぐ、1月26日。藤沢周平さんが亡くなられた日がくる。

 昨年のその日、私は悔しくて泣きそうだった。数ヶ月氏の本を読むことが出来ないほど悲しかった。

 藤沢さんは私の父よりひとつ若い。父にも私にも、いつか逝く日がくる。自分の命が何時尽きるのか、知
りたいと時々思う。

 それが分かれば、それなりの心構えが出来るし、無茶したり無駄にしたりしないで生きられるような気が
するのである。

 気がするだけで本当にはならないのだが、時々そう思う。死というものはどんなものだろうか、安楽に死
ねるのだろうか?悔いなく死ねるだろうか? 

 私は出きれば、「ごっつォさま」と言って、ため息一つで逝きたい。
[1999年1月27日 12時40分45秒]
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